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松山地方裁判所 昭和25年(ワ)293号 判決 1961年8月25日

判  決

神戸市兵庫区戸場町二七番地の一

原告

株式会社宇都宮組

右代表者代表取締役

宇都宮惣太郎

ほか一二名

右一三名訴訟代理人弁護士

村井禄楼

東京都中央区銀座西二丁目三番地

被告

日正汽船株式会社

右代表者代表取締役

高柳勝二

高知市役地町二七八番地

山本竹一

右両名訴訟代理人弁護士

梶原止

森清

右当事者間の昭和二五年(ワ)第二九三号損害賠償請求事件につき、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

原告株式会社宇都宮組に対し、被告月正汽船株式会社は金五〇〇万円被告山本竹一は金五三〇万七、四五三円及び右各々額に対する昭和二五年九月二二日以降完済まで年五分の割合による金員を各自支払え。

被告等に対する同原告その余の請求を棄却する。

被告等は、各自、原告大田垣ヨシノ、同長柄文江、同後藤節子、同大田垣孝枝、同大田垣龍枝、同大田垣弘美、同大田垣昭弘、同見上大二三、同米田佐代子、同杉山圭子、同見上立美、同見上司郎に対し各金一〇万円及びこれに対する昭和二五年九月二二日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用中原告株式会社宇都宮組と被告との間で生じた分は、これを二分しその一を同原告の負担、その余を被告等の負担とし、爾余の原告等と被告等との間で生じた分は被告等の負担とする。

この判決は、各被告に対し、原告株式会社宇都宮組において金一〇〇万円ずつ、爾余の原告等において金二万円ずつの各担保を供するときは、各勝訴部分に限り仮りに執行することができる。

事実

第一  原告等の申立と主張

一、請求の趣旨

被告等は、各自、原告株式会社宇都宮組に対し、金一、二一七万七、三〇三円、原告ヨシノ、同文江、同節子、同孝枝、同龍枝、同弘美、同昭弘、同大二三、同佐代子、同圭子、同立美、同司郎に対し各金一〇万円及び右各金額に対する本件訴状送達の翌日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告等の負担とする、との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求める。

二、請求原因

(一)昭和二五年一月二八日原告株式会社宇都宮組(以下原告会社という)は、訴外椿原貞夫の仲介により、被告日正汽船株式会社(商号変更前の日産近海機船株式会社以下被告会社という)との間に、被告会社の所有にかかる機附帆船第一桐丸(総トン数二三六・八九トン、船質木船長被告山本竹一執職)を使用して、兵庫県飾磨港から愛媛県郡中港内まで運送賃金八万円出帆予定日同月三〇日の約で原告会社所有非航函型電動ポンプ式浚渫船愛媛(以下愛媛という、船長大田垣賢一外七名乗組、吃水船首四尺一寸位船尾三尺位幹舷船首一尺三寸位船尾二尺四寸位船質鋼船体寸法長さ二一・八一メートル幅六・一二メートル深さ一・六五メートル進水昭和一三年一月電動機総馬力四六〇馬力浚渫能力一時間一二〇立方メートル)附属送泥浮管(フローター)二五隻及び附属伝馬船三隻の曳引運送並びに原告会社所有鉄管、木管、丸太、その他雑品約三〇トンの船内積運送の各契約を締結した。

(二)同年二月一日原告会社代表取締役宇都宮惣太郎は、第一桐丸船長被告山本に面接し清酒二升を贈ると共に余り無理せぬように頼む、愛媛は船とは違い、台の上に載つている工作機械でトツプへビーであるし航海するようにできていない、耐波性のない品物であるから充分に注意して曳行して貰いたい旨を述べて注意し、同被告はこれを了承した。

(三)原告会社は、代表取締役宇都宮惣太郎指揮の下に、愛媛の船体各部の点検をなし、ハツチ口二個、マンホール四個、エンジンケーシング扉三ケ所、同窓四個、ケーブル線引込穴一ケ所等甲板上浸入個所を密蔽しスバツド二本を降して左右両舷甲板上に各一本緊縛する等被曳引の準備を整え、又鉄管、木管、木材、雑品を第一桐丸艙内へ積込を了し、当時飾磨港内に繋留中の愛媛、フローター、伝馬船を宇都宮惣太郎所有雑役機船第一愛媛丸(総トン数八、一四トン船質木焼玉発動機二五馬力吃水船首〇、六メートル船尾一・四メートル船長今津武治執職)が曳出し、同港外において、第一桐丸に引渡した。

(四)第一桐丸は径二吋半マニラロープ約二〇メートル、径八分の七吋ワイヤーロープ約八〇メートルの曳索を愛媛の船尾に出し、愛媛の船尾を先頭に船首を後にしこれに中、小伝馬船、フローター、大伝馬船の順序で隊列を整え、同年二月二日正午頃発航、曳引を開始し、第一愛媛丸も同行した。第一桐丸の吃水は船首約一、七メートル船尾約三メートルであり契約目的完了迄の航路、運航方法、寄港地、避難港の選択その他航海に関する指揮権は第一桐丸船長にあつた。そこで愛媛は、第一桐丸船長被告山本の判断指図に従いその曳引するままに日比瀬戸、下津井瀬戸、三原瀬戸、長瀬戸を通過し途中片上港外日比港、手島沖、木ノ江港、御手洗港、興居島に寄港した。

(五)一行は同年二月八日午前一〇時三〇分頃愛媛県興居島北浦港に到着し同日午後二時三〇分頃出帆したが、同港碇泊中天候薄曇東の微風あり、愛媛乗組全員は、早朝の小雨と現在の雲行により荒天の兆を感じた。小瀬戸を経て釣島を通過の頃より西方のうねり高く南西方の軟風(第三階級)吹き三津浜沖合に至り双方増大したので同行の第一愛媛丸船長は第一桐丸船長に対し興居島に避難すべき旨忠告したが、聴き容れず続行した。

(六)訴外佐々木組は愛媛県より郡中港浚渫工事を請負い原告会社はその下請をなしたもので愛媛の廻航もその作業のためであつたからその到来を待望していた愛媛県郡中港湾事務所主任武智技師は、同日午後四時四五分頃重信川沖合に一行らしき姿を発見し又、同時五五分頃郡中警察署より午後三時一五分松山測候所発表南西の風後北西に廻り寒冷前線の季節風強く夜半には突風を伴う、船舶は注意を要する旨の気象特報の電話が掛つたので同事務所備付自記験潮器を検して港内水深を確め気象特報と水深の伝達及び水先案内を兼ねて五時二七分頃同事務所々属石油発動機附伝馬船(通称チヤツカー船体長さ三〇尺幅八尺一〇馬力)を出港せしめ、同チヤツカーは午後六時頃松前町沖合(郡中港より二海里位)において愛媛を出迎え、第一桐丸に対し気象特報が出ているから早く入つてくれ水先案内に来た旨通告し水深が、幾何あるかの問に最大干潮三・五メートル現在三・八メートルと答え先導して港内へ引返し同船が追尾して入港するものと信じて帰港した。

(七)しかるに第一桐丸は右予期に反し午後六時三〇分頃郡中港外に投錨碇泊した。その時の愛媛の船尾の位置は郡中港西防波堤北端より北四一度一七分西(鉉針方位以下これによる)距離六五八メートルであり南微西の和風(第四階級)吹き風浪は南微西の第三階級、うねりは西方第二階級であつた。

(八)愛媛乗組員は第一桐丸が入港する様子が見えないので焦躁し同船に警告を発したが応答がなく、又チヤツカーは帰港後二〇分程して武智技師の命により再び出港し第一桐丸に入港を促したが錨を打つているから今入れない旨の回答ありチヤツカーは引返した。

一方第一愛媛丸は風浪うねり高く自船の操舵が勢一杯となりかつ船内よりの漏水等に堪えず新川沖で曳航加勢を打切り排水のため郡中港内に入つていたが午後七時過頃原告会社現場主任西山知重の命により出港し愛媛に近寄つたところ早く入港さしてくれ若し曳き込まないのなら早く興居島へ避難するよう第一桐丸に伝言方を依頼されたのでこの旨同船に伝達したが任しておけと応答したのみであつた。

(九)第一桐丸が入港しないので武智技師はチヤツカーに第三回目の出港を命じ同船に入港を促すと共に前記西山知重と計り曳引加勢のため午後七時四〇分頃トロール漁船東予丸(七五馬力)を雇い出動せしめ同船は電動照明燈を点じ第一桐丸に接近しあらゆる注意換起を試みたが同船甲板上には人影現れず応答なく風浪うねりが高く同船に横付も出来ず手の施しようがなくやむなく帰港した。なおこれより先武智技師は第一桐丸の夜間入港を容易ならしめるため港湾事務所直下の電柱下部及び西防波堤北端の二個所に約二時間にわたり焚火をなし尚引続き原告会社工夫長望戸は西防波堤北端にあつて大型懐中電燈を午後一〇時頃迄点燈明滅信号した。

(一〇)こうするうちにも南微西の風と風浪、西方のうねりは漸次増大し船体の動揺もこれにつれて大きくなり愛媛機関長山本計雄甲板員中里久隆機関員竹本武夫の三名は午後九時半頃より同一〇時半頃に亘り船内点検をしたが密蔽個所は完全であり漏水は些少もなかつた。しかし午後一一時半頃遂に南微西の大強風(第九階級)が吹き南の風浪は波甚だ高く(第八階級)なり西方のうねりも甚だ高く(第六階級)船体の動揺いよいよ甚大乗組員は危険を感じ焚火信号により第一桐丸に警告を発したが何等の応答もなく遂に午後一二時過頃大横揺に加えるに一陣の突風のため船体復原力を失い、左舷(沖側)に急傾斜軽覆した。その際機関員鈴木和作甲板員中里久隆は右舷々側を伝つて船底に移動し船長大田垣賢一機関長山本計雄機関員竹本武夫甲板員山本好和は一旦海中に入つた後船底に引上げられ甲板員三好文男はフローターへ泳ぎついたけれども機関員見上光一は溺死行方不明となつた。これに対し第一桐丸は何等の救助措置をとらなかつた。

転覆船体はスパツドシヤが海底に突込み船尾をこれに支えられかつ船底にある空気の浮力により船尾高く陸側に約一〇度傾斜して船底を露出浮揚していたが風浪うねりによる船体動揺につれてスパツドシヤは漸次海底に入り込み従つて船体は漸次沈降し遂に翌九日午前〇時三〇分頃圧迫された船内空気は音響を発し約六尺の水煙を立てて一時に右舷船尾より吹き出し船体は瞬時にして沈下した。空気吹き出しの寸前山本機関長竹本機関員山本甲板員は船底を離れてフローターに向つて泳ぎ出しこれに取付いた。船長、中里甲板員鈴木機関員は最後迄船底にいたが中里鈴木両名は船体沈下後フローターに泳ぎつき船長はその際溺死行方不明となつた。

フローターに登つた六名は相抱き寒気に震えつつ第一桐丸に救助を求めたが同船は何等救護の処置を講ぜず凍死寸前漸く午前五時三〇分に至り東予丸に救われ、第一桐丸は抜錨し興居島へ廻航した。

(一一)原告会社は九日より一六日迄八日間にわたり潜水夫による沈没船内、附近海底の探査、附近海岸線の捜索、機附漁船六隻引網使用による海底捜査等を試みたが遂に両死体を発見するに至らなかつた。一方第一桐丸は九日午前八時頃興居島泊湾に避難到着し一一日午前八時郡中港防波堤内最大干潮時水三・二五メートルの地点に入港投錨碇泊し翌一二日午前一一時港内東部物揚岸壁に接岸転泊(当時水深三・三メートルの地点)して艙内積載貨物を揚陸し午後五時離岸北防波堤南側最大干潮時水深三メートルの地点に一七日午後二時三〇分迄碇泊した。

(一二)ところで右愛媛の沈没並びに原告会社従業員大田垣、見上両名死亡の事故は第一桐丸船長被告山本の次のような職務上の過失に基因したものである。

(1)海図の不整備

土地不案内の者が初めて未知の地を訪れるときは詳密な地図を用意すべきであると同様に初めて郡中港に行く被告山本は同港の最も細密な海図を整備すべき職務上の義務があるところ、海上保安庁は昭和二四年八月二九日海図第一六四号松山港至長浜港を刊行し同年一一月二日には日本郵船株式会社神戸支店水路図誌販売所に到着し一般の購入に応じていたのみならず他の方法によつても容易に入手し得たに拘らず被告山本はこれをなさず印刷文字が不鮮明にして、郡中港防波堤の位置の記載もない粗大海図昭和五年八月二日刊行第一一〇二号伊予灘及近海を使用したため防波堤の位置や方向従つて風風浪、うねりに対する遮蔽の関係、水深を知ることができなかつた。

(2)ラジオの不整備

天候を早期に予知して対処するため被告山本は一日数回放送の気象予報を聴取すべき職務上の義務がありこの遂行には当然ラジオを船内に備付けるべきであるに拘らずこれをしなかつた。

(8)天候の不予知

愛媛は通常の船とは違い堪航性なく頭重で復原力極めて少く単に船の形をしておる工作機械の台に過ぎない。従つてその曳航には一般の船舶を曳航する場合に比べて特段の周到な注意を要するものである。かように愛媛は荒天において港外に碇泊するに堪えない構造、性能の船であるから曳船船長たるものは、通常の船を曳航する場合に比べて早期に安全港に避難碇泊すべき義務がある。特にその目的地たる郡中港附近には適当な避難場所がないのであるから、ラジオの備付のない第一桐丸としては、二月八日午前一〇時半から午後二時半まで四時間にわたり興居島北浦港に碇泊中上陸して天気予報の放送を直接間接聴取するなり新聞閲覧又は測候所等へ天気照会するなりして天候を知るべきであり、同所において天気を十分見定めてから出発すべきであつたのにこれを怠り漫然同所を出航した過失がある。更に、出港後釣島通過の頃より西方のうねり高く南西方の軟風(第三階級)吹き三津浜沖合に至り双方増大したので当然興居島へ引返し避難すべきであつたのにこれをなさず同行の第一愛媛丸船長が天候の悪化を認め前記のように被告山本に対し興居島へ避難するよう忠告したに拘らずこれに応じなかつた。

(4)郡中港内不入港

二月八日午後六時頃前叙のように松前沖合においてチャツカーより水深の通告と気象特報が出ている旨を告げられ当時第一桐丸の吃水は、船首一、七メートル船尾三メートルでありそのまま郡中港に入港できたのであるから当然入港すべき義務があるに拘らず入港しなかつた。仮りに即時入港ができなかつたにしても当時干潮時午後六時五五分潮高五四センチ高潮時翌九日一時〇分潮高二、五二メートルであることは第一桐丸備付海上保安庁水路部刊行潮汐表第一、二巻により容易に知りうるところであり従つて一時間平均三二センチずつ海面が上昇していることも知りうるから干潮時に入港が危険であつても漲潮に従つて危険の虞はなくなりその後入港すべきであるに拘らずチヤツカーから三回第一愛媛丸から一回合計四回の警告を無視して事故に至るまで入港しなかつた。

(5)不安全場所漫然長時間碇泊

被告山本が港内入港を危険と感ずるならば他の安全碇泊場所を選択すべき職務上の注意義務があるに拘らず風、風浪、うねりに全面的に曝露されている不安全な西防波堤北端より北四一度一七分西六五八メートルの沖合に投錨しかつ爾後五時間半安全場所に転泊することなく愛媛を危険に陥らしめ度々の警告を無視して興居島その他の安全場所に避難することもせず碇泊中見張人も置かずして外部との連絡を放棄した。

(6)人命不救助

午後一二時頃愛媛の転覆に気付いた被告山本は直ちに自船を投錨操縦して転覆船に赴き乗組員の救助をなすべきであるに拘らずこれをしなかつたから転覆後三〇分にして沈下の際船長大田垣賢一は溺死した。

(一三)第一桐丸船長被告山本の前記過失に因り原告会社は次の損害を蒙つた。

(1)愛媛引揚費用 二四三万五、一五二円

内 訳 別表第一記載のとおり

(2)愛媛修理費用 三六四万六、二八三円

内 訳 別表第二記載のとおり

(3)愛媛附属物流失損害 一一五万四、三五五円

内 訳 別表第三記載のとおり

(4)愛媛の沈没、引揚、修理に関し生じた通信費 一一万七、一四八円

内 訳 別表第四記載のとおり

(5)同旅費 三九万八、二四五円

内 訳 別表第五記載のとおり

(6)同雑費 五四万三、〇二七円

内 訳 別表第六記載のとおり

(7)死亡乗組員遺族に対する見舞金 五万八、〇〇〇円

(社会儀礼上支払義務のある者)

内 訳 別表第七記載のとおり

(8)死亡乗組員の葬式料 四万円

(社会儀礼上支払義務のある者)

内 訳 別表第八記載のとおり

(9)愛媛が一四二日間浚渫作業を休止したことによる一ケ月八〇万五、三三九円の割合による得べかりし利益の喪失 三七八万五、〇九三円

前叙のように愛媛は二月九日午前〇時三〇分沈没しその後引揚げて仮修理をなし七月一日復旧、作業を開始したからその間一四二日浚渫作業を休止した。ところで愛媛の従事した昭和二四年一〇月竣工の尼崎港浚渫工事(浚渫土量三三・〇〇〇立方メートル運転実働日数約一、四月)の取得工事費は金三〇二万四、四二〇円(一月平均二一六万〇、三〇〇円)、昭和二五年一月竣工の飾磨港浚渫工事浚渫土量五〇、〇〇〇立方メートル運転実働日数約二月)の取得工事費は、金四一〇万円(一月平均二〇五万円)であるから一月平均取得工事費は二一〇万五、一五〇円となるが、工事休止による得べかりし利益喪失損害の基準は、右両工事施行の際支出した後掲第一表運転経費によつて計算した後掲第二表工事をしないため支出しなかつた一月平均経費金一二九万九、八一一円を右一月平均取得工事費より控除した残額一月平均八〇万五、三三九円である。然し右一四二日間の作業休止は仮修理日数であり後に実施した本修理施行一四二日間の作業休止は仮修理日数であり後に実施した本修理施行による工事休止損害は入つていないのである。

第一表 運 転 経 費

費目

飾磨港工事施行による支出額

尼崎港工事施行による支出額

一ケ月平均支出額

支出総額(円)

一ケ月平均額(円)

支出総額(円)

一ケ月平均額(円)

燃料及び消耗品費

一五六、三八三

七八、一九二

一一二、八四八

八〇、六〇六

七九、三九九

材料費

一一六、八〇〇

五八、四〇〇

一二二、一〇七

八七、二一九

七二、八一〇

労務費

九六三、四七五

四八一、七三八

八六三、三七〇

六一六、六九三

五四九、二一五

土工費

四五二、五〇〇

二二六、二五〇

六一一、八九〇

四三七、〇六四

三三一、六五七

修繕費

七四〇、一九五

三七〇、〇九六

一一五、三六四

八二、四〇三

二二六、二五〇

運賃

一〇三、七五六

五一、八七八

九六、八五〇

六九、一七八

六〇、三二八

旅費

一〇四、〇九二

五二、〇四六

一八九、六〇三

一三二、五七四

九二、三一〇

雑費

二九六、四八七

一四八、二四三

四四、九七九

三二、一二八

九〇、一八三

二、九三三、六八八

一、四六六、八四四

二、一五三、〇一一

一、五三七、八六五

一、五〇二、三五四

第二表 工事をしなかつたため支出しない一月平均経費

費目

金額(円)

摘要

燃料及消耗品費

七九、三九九

材料費

七二、八一〇

労務費

四三七、九二〇

工事施行時五四九、二一五円の内

船員給料一一一、二九五円を除く

土工費

三三一、六五七

修繕費

二二六、二五〇

運賃

六〇、五二八

旅費

四六、一五五

工事施行時九二、三一〇円の五%を除く

雑費

四五、〇九二

工事施行時九〇、一八五円の五%を除く

一、二九九、八一一

以上(1)ないし(9)の合計一、二一七万七、三〇三円の損害は、被告会社の使用人である被告山本の過失により生じたものであり近海第一区の航行区域を保有し同区域を航行する第一桐丸は商法第六八四条の船舶に該当し同船を所有使用する企業者である被告会社は同法第七六六条の船舶所有者に該当するから原告会社は、被告会社に対し第一次的には本件曳船契約の債務不履行による損害賠償として民法第四一五条商法第七六六条に基き、第二次的には船舶所有者の無過失損害賠償責任を定める商法第六九〇条に基き右損害額及びこれに対する訴状送達の翌日以降完済までの遅延損害金の賠償支払を求め、被告山本に対しては不法行為を理由として同額の損害賠償を請求する。

(一四)次に愛媛船長大田垣賢一は明治三四年一〇月二三日出生し当時四八才であるから日本人生命表によればなお一九年間は生存することができる。同人は高小卒後昭和三年五月藤田組浚渫船筥崎に見習員として就職その後船長に昇進同一六年三月退社原告会社浚渫船愛媛に船長として就職同一八年四月退社して桑原組浚渫船に船長として乗組同年一二月退社藤田組浚渫船筥崎に船長として復帰一九年一〇月応召同二〇年八月復員同二一年一〇月藤田組退社愛媛船長として復帰同二三年五月退社その後二、三の会社を経て同二四年一一月愛媛船長として復帰一日金四二四円七〇銭以上の支給をうけていたもので、原告ヨシノは同人の妻であり当時四三才同文江は長女で二六才、同節子は二女で二二才同孝枝は三女で一七才同龍枝は四女で一四才同弘美は五女で一〇才同昭弘は長男で六才であるところ同人の不慮の死により精神上莫大な苦痛を受けているから被告山本は不法行為者として被告会社はその使用者として原告一人につき各金一〇万円の慰藉料及びこれに対する訴状送達の翌日以降完済までの遅延損害金を請求する。

(一五)愛媛機関員見上光一は、明治四五年一月四日出生し当時三八才であるから日本人生命表によたばなお二六年間は生存しうる。同人は高小卒後昭和二年三月日本車輛株式会社へ仕上工として就職同八年五月退社飾磨電気株式会社へ職工として入社同二〇年一月退社原告会社へ機関員として就職し愛媛に乗組み一日金三六九円五七銭以上の支給をうけていたもので、原告大二三は同人の妻であり当時三七才同佐代子は長女で一五才同圭子は二女で一二才同立美は二女で八才同司郎は長男で四才であるところ同人の不慮の死により精神上莫大な苦痛を受けているから前同様の理由により原告一人につき各金一〇万円の慰藉料及び前同様の遅延損害金を請求する。

(一六)被告等の答弁又は反駁に対する再答弁

(1)被告等主張(一)の事実中本件曳船契約につき郡中入港不能の場合いよいよ駄目であれば第一愛媛丸で曳き入れるとの約定があつたと主張するが、かような約定はなかつたものである。第一愛媛丸は愛媛の浚渫作業に際し同船の位置の移動を助けその他補助的な雑用をする船であるけれども本件曳船契約とは何等の関係はなくただ便宜上愛媛に同行したまでのことである。

(2)同(一五)の(1)・事実中被告等は本件曳船契約の法律上の性質は、民法の請負契約であると主張するがこれは誤解というべく本件曳船契約の法的性質は商法の運送契約に該当し運送物品は第一桐丸が保管するものである。その理由を詳述すれば、被告等主張の請負契約を締結するには、被曳船の乗組員が航海技術能力を有し又船舶自体が独航能力を有する場合に限られることはその性質上当然のことであり後記の如く本件愛媛の物的人的無能力という特異性のある場合かかる単なる動力提供又は労務供給の契約が締結される道理がないのである。そもそも愛媛には、舵、推進器がなく元来水上航行の用に供するものでないからいわゆる独立航海能力がなく恰も製造中の船舶、浮標、舟橋台船、水上料理店、浮船渠、筏等と同様船舶ではない。推進器を有する浚渫船は船舶法施行細則第二条により法律上船舶と看做されているに過ぎずその本質は船舶ではない。それ故愛媛の従業員に船長、機関長、甲板員、機関員の名称が付せられていてもこれは丁度浚渫機械を浚渫船と呼称するのと同様、その実質は機械運転員であつて、表面上一般船員の名称を借りているに過ぎず元来平静な港湾内で土砂掘取の作業に従事するのみであるから航海ないし船舶運航の技術を知らない者であり船員法船舶職員法の適用もないのである。かくの如く物も人も航行無能力であるからこれが運搬の依託を受けた者はその引渡しを完了する迄保管する義務があり郡中港到着碇泊によりその任務が終了するものではない。特に前記の如く愛媛は普通の船舶の如き堪航性なく頭重で復原力の極めて少い物体であるから一般船舶に比べ総ての情況に対し特段の注意をして保管する義務がある。

要するに運送人たる被告会社及びその履行補助者にして航海指揮権を有する第一桐丸船長は、運送品の受取の時から引渡完了迄善良な管理者の注意をもつてこれを保管する義務があり被告山本はその義務に違反したのである。

(3)同(一五)の(2)の事実中被告等は興居島へ引返すことは却つて危険であると主張するが第一桐丸が郡中に向う針路は南四分の三東位の針路であつて逆風であるけれども興居島の良港由良湾に避難する際の針路は北微東二分一東であつて全くの順風である。逆風にて四時間を要したものならば追手であれば三時間もかからない。避難港に向う針路が逆風である場合は船体に対する風浪の抵抗大にして所謂難航することとなるが追手に帆かけての順風である避難針路は風浪の抵抗小にしてこれ以上安楽な航海はない。従つて被告等の右主張は失当である。

第二  被告等の申立と主張

一、申立

原告等の請求を棄却する、訴訟費用は原告等の負担とする、との判決を求める。

二、答弁

(一)原告等の請求原因(一)の事実中原、被告会社間に原告等主張のような運送契約が成立したことは否認する。

すなわち被告会社は山田海運商会の仲立により昭和二五年一月三〇日訴外椿原貞夫との間に曳行区間は飾磨港より郡中港内もしそれが不能ならば沖合迄曳航料金七万円NET油は約八本D/m郡中港補油のこととの条件で原告主張の被告会社所有機船第一桐丸を以つて原告会社所有の愛媛、フロータ二五隻、伝馬船三隻を、曳行する契約及び鉄管木管丸太その他雑品三〇トンを船内積込運送する契約を締結したものである。その経過を一言すれば、被告会社神戸支店は同年一月二六日頃より椿原貞夫から仲立人山田海運商会を通じて浚渫船愛媛の曳行の引合があつたが、最初話のあつた第二松丸は都合が悪く郡中港の水深の関係上防波堤内に入港できる一五〇トン型以内の船は当時前記支店になかつたので同商会は他の会社に当つてみたが適当な船がなかつた。然るにたまたま一月三〇日第一桐丸が尼崎港において揚荷を終つて空船となつたので同船を引当てようということになつたが同船は大型船であり郡中港内即ち防波堤内に入港できないことが判明していたのでこのことを椿原に通じ郡中港入港不能の場合は港外迄でもよい、又曳航には護衛船がついて行くからいよいよ駄目であれば護衛船で曳き入れるという約定で右曳船契約は締結されたのである。

(二)同(二)の事実中原告会社代表取締役宇都宮惣太郎が第一桐丸船長に特別の忠告をしたことは争う。

(三)同(三)の事実中原告会社が愛媛の船体各部の点をし被曳引の準備を整えたことは争う。

鉄管等約三〇トンの貨物を第一桐丸に積込んだこと、第一愛媛丸が愛媛、フローター、伝馬船を飾磨港内より港外迄曳出したことは認める。

(四)同(四)の事実中主張の日、曳航を開始したことは認める。ただし第一桐丸の吃水に関する主張は否認する。当時同船の吃水は、船首一、七メートル船尾三、四メートルであつた。契約目的完了迄の航路、寄港地、避難港の選択権第一桐丸船長にあつたことは認めるが、愛媛に対する指揮権は否認する。航路、寄港については全部認める。

(五)同(五)の事実中一行が二月八日午前中興居島北浦港に到着し午後二時三〇分同港を出帆したことは認め、その余は争う。

(六)同(六)の事実中チヤツカーが松前町沖合まで来り第一桐丸船長に気象特報が出ているから早く入つてくれ、港内水深は三・五メートルないし三・八メートルあると告げたことは認め、その余は争う。

(七)同(七)の事実中第一桐丸が午後六時三〇分投錨碇泊したことは認め、その余は争う。

(八)同(八)の事実中愛媛乗組員が第一桐丸に警告を発した点は否認、第一愛媛丸が曳航加勢を打切り郡中港に入港したことは不知、その余は争う。

(九)同(九)の事実中東予丸が曳引加勢のため出動したことは認め、入港誘導目標の焚火、電燈の明滅については否認、その余は争う。

(一〇)同(一〇)の事実中午後一二時頃愛媛の転覆したこと、機関員見上光一が行方不明となつたこと、愛媛の船体が沈下し船長大田垣賢一が行方不明となつたことは認め、愛媛の船内を点検したとの主張は否認、その余は争う。

(一一)同(一一)の事実中第一桐丸が午前六時二〇分頃碇泊地点を抜錨し午前八時頃興居島泊湾に避難到着し一一日午前郡中港防波堤内に入港投錨碇泊し一二日積載貨物を陸揚し一七日同港を出帆帰港したことは認め、その余は争う。

(一二)同(一二)の事実中愛媛の沈没並びに原告会社従業員大田垣、見上両名死亡の事故が第一桐丸船長被告山本の職務上の過失に基因するとの主張は堅く否認する。

(1)被告山本が初めて郡中に航海したこと、海図第一六四号が発行されたことは認める。然し同被告は海図第一一〇二号伊予灘及び近海を備付けていたし、被告会社で海図第一六四号を見て検討し、又内海水路誌を調べ、郡中港内入港は不可能である旨被告会社に答えている。海図第一一〇二号はスケールこそ小さいが文字は鮮明であり水深も記入されているから航海に支障はなく航海者は水路部刊行の海図によつて航海すれば充分である。

(2)第一桐丸にラジオを備付けていなかつたことは認めるが、ラジオは属具として法律がその設備を命じたものではないからこれを備えぬことを以つて過失とすべきではない。

(3)被告山本が上陸して天気予報の放送を聴取しなかつたこと、測候所へ天気照会をしなかつたことは認めるが、それが職務上の義務であること及びそれをしなかつたことを過失とすることは否認する。第一桐丸が北浦出発当時の天候は晴天で北東の至軽風が吹き平穏な天候であつた。郡中より二哩半位手前より風は南に変り、次第に強くなる傾向にあり、南西方のうねりを生じたが航行に支障を与える程のものではなく同六時三〇分頃無事郡中港に到着したのである。又当日の天気予報としては、松山測候所午前一一時発表「発達した低気圧が接近するため午後がら豊後水道は南西の風が強くなりうねりが出て来て瀬戸内海上は今夜より浪立つてくる。明朝風は南西から北西に変り季節風の吹出しで突風が起り全般にしけてくるから注意を要する」と放送された。然しこれはただ注意して航海するようにとの軽い意味のもので現在では気象注意報と呼ばれ、気象警報の如く重大な事態を生ずる虞があることを警告したものではない。従つて航海は豪も差支えなく、第一桐丸船長は多年の経験と知識によつて海空の模様を観察しながら注意深く航海したからこそ無事目的地に到達できたのである。故に同船長が放送を聴かなくとも過失というを得ないし又同船長は自己の責任で船舶の運航に従事する者であるから素人の運航に関する指図に従う必要はないのである。従つて主張の如く第一愛媛丸船長の忠言を容れる義務はないばかりでなく既に目的地に安全に到達した以上避難の必要もなかつたのである。

(4)原告等は郡中港不入港の過失があるというけれども本件曳船契約においては、曳航の最終地点は郡中港又はその沖合となつているところ第一桐丸の郡中港西防波堤灯台から略北四八度西六〇〇メートルの投錨地点は港界線(ハーバーリミツト)内であるから行政区劃上明らかに港内であつて契約は完全に履行された。仮りに原告等主張の如く防波堤内に曳行する約束であつたとしても、開波堤内は水深が浅く第一桐丸の吃水船尾三四メートルでは進入が不能であるから被告山本に防波堤内曳入の義務はない。もしこれを敢てすれば第一桐丸は安全なるを得ないからである。現に同船は二月一一日原告等の強要によつて防波堤内に進航たところ触底した事実がある。

(5)第一桐丸が転泊しなかつた事実は認めるが同船は午後六時三〇分約束の地点に到達したからその必要のなかつたことは既述のとおりであり、原告会社は、こを知つていたのであるから速かに曳航物件を引取るべきであり、殊に主張の如き運送契約であれば直ちに引渡を受けるべきであるに数時間これを怠つたため転覆をみるに至つたのである。漫然長時間碇泊せしめたのは、原告会社自身であつて長時間愛媛を引取らないからである。

なお当時第一桐丸の船橋には被告山本及び航海士山崎貞美が当直して見張をしていたからこの点の過失はない。

(6)人命の救助については、第一桐丸において愛媛の転覆を知るや直ちに陸に上発火信号及び汽笛をもつて危急を告げて救助を求めると共に自らも伝馬船を下して救助に向わんとしたが風浪のため不能であつた。原告等は人命不救助の過失ありというが人命救助の法律上の義務を何処に求めんとするのであるか理解に苦しむ。

(一三)同(一三)の事実中第一桐丸が商法上の船舶であることは認めるが本件事故に関し被告等には何等の過失もないから被告等に損害賠償の責任があるとの主張は否認する。

原告会社は、被告会社に対し第一次的に債務不履行を原因として損害賠償を請求するが、被告会社に本件曳船契約の不履行のないものであること従つて責任のないものであることは以上述べ来つた通りであるが、仮りに債務不履行ありとしても、通常生ずべき損害を賠償することが原則であつて、特別事情による損害は当事者が予見し又は予見しうべかりしとき賠償を請求しうべきものである(民法四一六条二項)。本件契約において愛媛転覆の事故は、特別の事情によるものであることは性質上当然であるが、後述のとおり愛媛の安定性十分の点に鑑みかつ当時の天候程度で被告会社において予め知り又は知りうべかりしものであることに関し原告会社は何等立証責任を尽していない。

更に不法行為に関しても被告会社は何等の責任がない。

本件において使用者である被告会社は、国の与えた海技免状を受有するものとして、被用者たる被告山本の選任につき過失のないことは勿論監督については、安全に航行することを命ずる外はないかなこの点でも何等過失がなく、又全く予測しない転覆事故であつたから相当の注意をなすも損害が生ずべかりしときに該当しいずれにしても被告会社に不法行為の責任は存在しないものである。

仮りに被告等に何等かの損害賠償責任があるものとしてもその数額を争う。殊に、原告会社の請求するものとついては社会通念上相当因果関係の範囲内と認められないものをやたらに重複しかつ漠然と請求しているから以下この点について説明したい。

(1)原告会社が愛媛引揚費用として請求するもののうち愛媛浮揚工事費については、原告会社と請負人たる日本船舶救助株式会社との間の請負契約により昭和二五年二月一八日以降同年三月二五日迄において使用した潜水船、起重機船及び乗組員人夫並びに原告会社所属船員工夫等の費用は原告会社の負担とし、同年三月二六日以降は日本船舶救助株式会社の負担とすることに定まっている。然るに、原告会社は、同年三月二六日以降の前記費用についてもこれを損害として請求しており、これは不当である。更に浮揚に要した工具、ワイヤーロープウエスマシン油等消耗品についても使用後残存するものもあつたことは実験則に照らし容易に知りうるところであるからこれを全部損害として請求するのは不当である。

(2)次に愛媛修理費用中電動機修理費は、修理した部分の細目、程度、態様及び内訳が明らかでないから損害金としての根拠が薄弱であり相当因果関係の有無が判明しない。電動機修理調査の技師派遣費、電機修理工の給料旅費の如きは相当因果関係がないか又は電気関係修理費中に含まれる性質のもので、重複して請求していることとなり、更に愛媛の修理費と称するもののうちには、西岡鉄工所による修理、山下鉄工所による仮修理と本修理とが重複して含まれており二重に賠償を求めるものである。

又愛媛各部を新設又は修理した場合朽廃腐蝕した旧品から新品に取替えられ従来のもの以上に良質となるからこれに要した費用全部を損害として請求することは実損害以上のものを賠償する結果となり不当である。

(3)附属物流失損害中従前の伝馬船は、建造以来相当年月を経過し既に耐用年数の限界にきていたから新造価格の半額として請求するのは不当である。流失品として揚げるもののうちワイヤーロープケーブル等は引揚げられたし、中古品と称するものは、その程度、内容において根拠のないものである。

(4)通信費、旅費雑費中には、相当因果関係のないものまで請求している。特に宿泊料は明細が明らかでないが、もともと原告会社は、郡中港浚渫工事を請負つていたから工事のため当然宿泊等もあるべき筈であり、又奉仕料、祝儀、接待費まで請求する根拠はなく、立替金、通話料等は内容が明らかでない。出張旅費と称するもののうち山下鉄工所社員のそれは、同鉄工所が愛媛の修理を施行して利益を得ていることが推定されるから同鉄工所自身で負担すべきものである。雑費のうちにも例えば労務者の作業衣、清酒、写真代等は相当因果関係がない。

(5)得べかりし利益の喪失損害について原告会社は、尼崎、飾磨両港の浚渫工事から単純に平均利益を算出しているが勿論これが郡中港の場合に当然当はまるものではなく、又かかる単純な算出方法による場合には、租税、公課、一般営業費管理費が全然費用の中に計算されていないこととなるが、企業は継続するものであるから一部分のみの稼働に要する経費のみ考えて利益を算出しもつて平均であるとすることは許されない。例えば固定資産税は事業の休止等に影響のないものでありこれを無視して利益の計算をすることは不当である。又一般管理費の中には当該工事に直接要する費用以外に宣伝費交際費設計費重役々員の報酬社員給与本店における諸経費償却費等も含まれるべきことは明白である。これ等を差引いて純利益を計上し稼働を休止した期間に応じかつ原告会社の年間工事受注量も勘案して利益を算出すべきである。郡中港浚渫工事は、原告会社が七〇〇万円前後の工事代金で佐々木組から下請し三ケ月分を要するものであつたがもし主張の如き得べかりし利益があつたとすれば工事代金の半額以上が利益金となるわけでかかる大儲けの事業のないことは寧ろ公知の事実であるから原告会社の主張がいかに不当であるかは自ら判明するところといわなければならない。

(一四)同(一四)(一五)の慰藉料の数額は争う。

(一五)被告等の反駁と抗弁

(1)本件曳船契約とその履行

本件曳船契約について原告等が契約成立の日を敢えて一月二八日と強弁する所以は、契約内容が郡中港外までであるのを港内曳入の契約としようとすることと契約当事者が椿原と被告会社であるのに、原、被告会社間に締結されたとするために事実を歪曲したものに外ならない。すなわち原告主張の一月二八日は第二松丸を引当てる話のときであつて、第一桐丸による契約は未だ成立していないときである。従つて原告等が主張する郡中港曳入の約定は、一月二八日の第二松丸に関する契約内容であり第一桐丸に関するものではない。そして第一桐丸の郡中港入港は、始めより不能であることが判明していたから契約条件として飾磨港より郡中港内もし入港不能であれば港外までと約定したのは当然である。事実、被告山本は同船の吃水が当時船首一・七メートル船尾三・四メートルであつたから当時水深三・五ないし三・八メートルの防波堤内に入ることは不能であつたから入港できないとし、入港できる地点すなわち郡中港内西防波堤端から路北四八度西六〇〇メートルの地点まで到達、碇泊し曳航が無事完了したのであるから契約の本旨に従つて履行を完了したものといわねばならず、ついで、連絡に来たチャッカー、護衛船に対し曳航は完了したから速かに防波堤内に曳入れるようすなわち弁済の受領を原告側に要請したのであるから原告側では、被曳船愛媛を曳入れるため適当な措置を講じて受領すべきであつた。殊に原告会社は、愛媛引取りその他の準備のため西山、室戸を先行させたのであつて、又椿原自身乗船して行つて曳入れると称していたに拘らず、これらの者は受領を遅滞したのであるから被告等に責任がないことは勿論明らかに原告会社の受領遅滞である。

けだし曳船契約の法律上の性質は、民法の請負契約であるから運送契約とは性質を異にし商法第八四二条第四号にいう挽船と同じく目的物の保管義務は、被曳船つまり愛媛に乗組んでいた船長、機関長等八名に存すると共に、約定地点に目的物を曳航することによつて契約の履行は完了するものだからである。

(2)被告山本船長は運航上に過失なし。

既述のように北浦港出港に当つては、航海に支障のない平穏な天候であつた。同日宇和島において午後六時頃風位南々西風速五メートル翌日午前〇時頃風位南々西風速六・五メートル松山で午後六時頃風位南風速四・四メートル午前〇時風位南風速八・七メートルであつた。従つて北浦において天気を十分見定めてから出発すべきであつたのにこれを怠り漫然同所を出航したとするが如きは、既に航行を完了した事実よりしても誤つた見解といわねばならない。仮りに原告等主張の如く松前沖から避難すべきだつたとしても北浦、郡中間一〇浬、松前沖まで約八浬、第一桐丸は北浦港を出航して約三時間余を費して同沖通過の時刻は五時半過ぎである。これに南風と南西のうねりをうけてしかも夜にわたつて興居島に引返すことは却つて危険を増大する結果となるから原告等の主張は不当であり、要するに被告山本に運航上の過失はなかつたものである。

(3)愛媛の安定性及び転覆原因

被曳船愛媛が浚渫船として水底の土砂石を掘る船であつて推進器がなく独立航海能力のないことは、敢えて原告等の主張をまつまでもないが、同船が頭重で復原性が極めて少く耐波性堪航性がないとする点は素人の空論に過ぎず、科学的調査によれば、本件事故当夜の風速、風向、波浪うねり、その程度、方向のものでは愛媛は絶対に転覆しない筈のものとされている。海難審判における鑑定人佐藤正彦の鑑定や、原告会社代表取締役宇都宮惣太郎、愛媛機関長山本計雄の各供述によつてもこの点は明確である。とすれば、転覆の原因は、風位、風力、波浪以外の力の作用であるとせねばならない。そこで愛媛に自由水が侵入して動揺したとすればその安定性復原力はいかに変化するのであろうか。前記佐藤の鑑定によれば、自由水が侵入すると復原性は著るしく減ずるものであるとされ、これが一九トンに達すると同船は復原力を完全に失うと断定している。これによつてみれば、愛媛が転覆した原因は、同船長大田垣賢一の職務上の過失により密閉装置が不十分であつて船員室上のマンホールから海水が船内に侵入したため、この海水が、自由水となつて移動しこれが動揺により愛媛の復原力を著るしく減じたため遂に転覆するに至つたものであるから、その責任は原告会社自らが負担すべきものである。

(4)過失相殺

仮りに原告等主張のとおり被告等に損害賠償責任があると仮定しても原告側にもまた被告等主張のように過失があるから過失責任を負担すべきである。よつて予備的に過失相殺を主張する。

第三証拠(省略)

理由

第一  契約の成立

証拠を総合すれば、訴外株式会社佐々木組は愛媛県より昭和二五年三月末迄に工事完成の約定で同県郡中港修築工事を請負い同工事中同港浚渫工事を原告会社に下請させたこと、そこで右工事施行のため原告会社はその所有にかかる鋼製非航函型電動ポンプ式浚渫船愛媛を郡中港に廻航すべき必要を生じたので回漕業者椿原貞夫及び被告会社専属の同業者山田富造の両仲立人を通じ被告会社(商号変更前の日産近海機船株式会社)輸送課長代理犬飼均に対し右曳航の引合をなしたところ被告会社ではこれを承諾し当初その所有にかかる第二松丸(二〇〇〇トン)をこれに引当てようとの方針であつたが同船は他の用件のため都合が悪くなり結局被告会社所有機付帆船第一桐丸(純トン数二三トン船質木焼玉発動機一六〇馬力船長被告山本竹一)をこれに当てることになつたこと、然し同船の吃水で水深の浅い郡中港に入港し港内で引渡しできるかどうかについては仲立人等も確信がもてないため、引渡先は現場の事情に従うこととし、結局同年一月三日に至り原、被告会社間に、原告会社所有の浚渫資材である鉄管、木管木材その他雑品約三〇トンを第一桐丸に積載の上前掲愛媛を兵庫県飾磨港から愛媛県郡中港まで純運賃オイルつき七万円他に両仲立人に対する報酬一万円を支払う条件で運搬すること、ただし郡中港内入港不能の場合は、沖合迄とする、との契約が口頭で締結されたこと、以上の事実が認められる。因みに、前掲証拠によれば、原告会社側の仲立人椿原は、郡中港入港不能の場合の約定を原告会社に伝えなかつたので原告会社では以後、当然郡中港内すなわち防波堤内で引渡しを受けられるものと信じていたが、他方被告会社輸送課長代理犬飼は、被告山本から第一桐丸は郡中港には入港できない旨説明をうけるとそれでは港外まで曳航せよと命じたことが認められ、こうして生じた本件契約の履行条件に関する当事者の認識の齟齬は、後記のように本件事件の最後に至るまで平行のまま推移したのである。

ところで原告会社は、右契約の成立日は昭和二五年一月二八日であると主張するが、右主張が誤りであることは、前顕乙第二号証に徴し明白であること被告等主張の如くである。

然し被告等主張のように本件契約が被告会社と椿原との間に成立したと認めるべき適確な証拠はなく前掲乙第一号証によつてもその事実は認め難い。更に被告等は本件契約に第一桐丸が郡中入港不能の場合は護衛船つまり第一愛媛丸をもつて港内に曳き入れる旨の約定があつたと主張し前掲乙第一四、一六、二五号証中犬飼均、山田富造両名の供述記載中には同趣旨の供述部分もあるけれども前掲甲第二〇号証椿原貞夫の供述記載と対比してたやすく措信し難く他にこれを認めるに足る証拠はない。もつとも後記第二、事件の経過において述べるように、飾磨港において第一愛媛丸が同港に係留中の愛媛を港外迄洩出した事実のあることは、当事者間に争いがないけれども、(証拠)を総合すれば、第一愛媛丸は宇都宮惣太郎所有の総トン数僅かに八トン焼玉二五馬力エンジンを備えた小型機付帆船で、愛媛に附随し専ら作業場において種々の雑役に従事する雑用船であり、飾磨港において曳航したというのも、殆んど河流の力によつたもので長時間をかけ河口すなわち下流に向うものであつたから曳出せたのであつて、海上において他力を借りずに、愛媛を曳航する能力はないことが認められるから、右事実も被告等主張の支持資料となるものではなく、却つて右認定事実に前掲甲第二〇号証を併せ考えれば、被告等主張のような約定はなかつたものと認められるから、右主張は失当である。

第二、事件の経過

前掲契約に基き第一桐丸が原告会社所有の浚渫用資材約三〇トンを艙内に搭載し、当時飾磨港内に係留中であつた愛媛、浚渫用送泥管(フローター)二五組及び伝馬船三隻を第一愛媛丸によつて港外迄曳出し同所で引渡しをうけ、径二吋半マニラロープ約二〇メートル径八分七吋ワイヤロープ約八〇メートルの曳索を愛媛の船尾に出し、愛媛の船尾を先頭に船首を後にし、これに中小伝馬船、フローター大伝馬船の順序で隊列を整え、昭和二五年二月二日正午頃発航曳引を開始、第一愛媛丸もこれに同行したこと、右一行の航路寄港地、避難港の選択権は第一桐丸船長にあつたこと、かくて愛媛は第一桐丸に曳航され日比瀬戸、下津井瀬戸、三原瀬戸、長瀬戸を通過し途中片上港日比港手島沖、三原港木ノ江港御手洗港に寄港し同月八日午前一〇時三〇分頃愛媛県興居島北浦港に到着したこと以上の事実は、当事者間に争いがなく(証拠)を総合すれば、北浦港到着後の経過は次のとおりであることが認められる。同所における第一桐丸の停泊位置は、陸岸から約一〇〇メートル位の所であつたが、被告山本は第一桐丸に無線電信或いはラジオの設備がなく且つ上陸して天気予報を調べることもしなかつたので同日午前一一時松山測候所発表「発達した低気圧が接近するため午後から豊後水道は南西の風が強くなりうねりが高くなろう瀬戸内海上は今晩より波立つてくる、明日夜明前風は南西から北西に変り季節風が吹き出し、突風が起り全般にしけてくるから注意を要する」との天気予報を知ることなく同日朝から晴雨計が漸次下降しつつあつたにも気付かずただ潮の変ることのみを考え、郡中到着時刻について深く留意することもせず同日午後二時三〇分頃同所を出発し興居島と釣島との間を通過し針路をほぼ南微東として進航中北東の至軽風は南に変つて次第に増勢し南西方のうねりを生じ同五時三〇分頃愛媛県松前沖に差掛つた時同県郡中港湾事務所主任武智正雄の命により郡中港から出航してきた同事務所々属石油発動機付伝馬船(通称チヤツカー)が第一桐丸に近付き、「気象特報が出ている。水深は三・八メートルあるから早く入港するように」と連絡したが(連絡のあつたことは争いがない)被告山本は、命ぜられたとおり郡中港防波堤外で曳航物件を引渡す考えであつたから入港については何等返答せず連絡を取次いだ部下に有難うと礼を言つておけと命じたのみでそのまま続航し午後六時三〇分頃郡中港西防波堤灯台からほぼ北四八度西六〇〇メートルの地点に投錨し曳航列のまま停泊したこと、これより先第一愛媛丸は北浦発航後愛媛の左舷後方に曳索をとり曳航に協力していたが波浪のため浸水が増加したのでチャッーを認めた頃曳索を放つて先航し郡中港に入港して浸水を排除し第一桐丸が投錨して後間もなく出港して愛媛と連絡し更に第一桐丸に近付き船長今津武治は被告山本に対し愛媛船長大田垣賢一の伝言として「早く引き入れてくれ、もし入れないなら興居島に逃げてくれ」との旨及び原告会社現場主任西山知重の伝言として「気象特報が出ているから早く引き入れてくれ」との旨を伝えたところ同被告は防波堤内は水深が浅く第一桐丸の吃水では入港できないから他船をもつて愛媛を引き入れるよう返答したこと、やがて前記チャッカーが再び連絡に来て水深は三・八メートルありここにいると危いから早く引き入れるように言つたが同被告は前と同様の返答をくり返したこと、かように被告山本としては愛媛を、防波堤内に引入れる意思はなく原告会社の方で曳船を用意し曳入れるものと期待し漫然と待つうちにも午後七時頃から天候は次第に悪化し小雨が降り南方の疾風が吹き西方から来るうねりは次第に高くなつたこと、然るに原告会社現場主任西山や同港々湾事務所主任武智等は飽迄第一桐丸が曳入れてくれるものと信じ部下に命じ同事務所附近にて入港誘導の焚火をさせたり曳入加勢のため第三東予丸(二七・九八トン七五馬力大元英春)を雇い出航せしめ五〇〇燭光の照明灯をもつて第一桐丸を照らし連絡をとるべく努めたが同船上には人影なく又波浪のため接近することもできないので遂に連絡をとることができずに引近したこと、こうして当事者の意思の喰違いのため無益に時間を徒過するうち午後九時頃風浪は益々増大してきたが被告山本は停泊中愛媛が風浪を正横からうけることに考え及ばず曳航中下津井瀬戸で船首方向からくる相当の風浪をしのいだ経験があるのでこのまま停泊していても安全であると考えていたところ午後一一時三〇分頃強風となり波浪もこれについて高まり、うねりが南西方から来襲して船体は激しく動揺したこと、翌九日午前〇時頃被告山本は愛媛を見たところ同船は転覆していたので大いに驚き汽笛をもつて非常信号を発すると共に発火信号をもつて陸上に遭難を報じ救援を求め他方愛媛の乗組員を救助しようとしたが風浪が激しいので伝馬船の降下ができなかつたこと一方愛媛は第一桐丸投錨後自船は投錨せず前記曳航状態のまま停泊し乗組員全員は船橋にいたが八日午後九時頃から風浪は増勢し南西方のうねりを左舷側からうけてローリングが甚しく波浪は絶えず甲板を洗う状態となり浸水のため徐々に傾斜を増しつつ激しくローリングするので午後一一時三〇分頃大田垣は総員を起し、第一桐丸に向つて大声で呼び或いはズボンに石油をふりかけて火をつけるなどして救助を求めたが連絡がとれず遂に翌九日午前〇時頃郡中港西防波堤灯台からほぼ北四一度西六五八メートル水深八メートルの地点において左舷に転覆しスバットシャーが海底にささつたまま動揺のため漸次沈下し三〇分程後同所において船首をほぼ北八度東に向け沈没したこと、乗組員中六名は、フローターに取りついていたところを同日午前五時頃第一桐丸の遭難信号を知り出動してきた水難救済会郡中救護所長菊山治一以下乗組の第三東予丸に救助されたが船長大田垣賢一機関員見上光一は遭難中行方不明となりその後原告会社において潜水夫による愛媛船内の捜索漁船による附近海岸の探査等を試みたが遂に死体を発見することのできないまま両名とも死亡が確認されたこと(愛媛の転覆沈没及び大田垣、見上両名の死亡つにいては争いがない)。当時天候は降雨で南方の強風が吹き秒速最高約二〇メートルの突風を伴い波浪甚だ高く南西方のうねりは高さ約二メートルに達し潮候は漲潮の末期に属していたこと、愛媛は沈没の結果船橋を流失しスパットシャーラダーシャの屈曲変形電動機計器等の浸水破損附属物流失等の損害をうけたが、原告会社が日本船舶救助株式会社等に依頼して引揚げ同年五月二五日完全浮揚し、その後同地において修理の上同年七月一日から郡中港浚渫工事に使用したこと、以上の事実を認めることができる。なお第一桐丸が同年二月九日午前六時二〇分頃停泊地点を投錨出航し午前八時頃興居島泊湾に避難到着、一一日郡中港防波堤内に入港碇泊し一二日積載貨物を陸揚し一七日同港を出航帰航の途についたことは当事者間に争いがない。以上が本事件の概要である。

第三、愛媛とその乗組員

さて浚渫船愛媛とはどのようなものであるか、これをここで考察しよう。(証拠)によれば、愛媛は鋼製函型電動ポンプ式浚渫船であつて排水量約一三八トン長さ二一・七九メートル幅六・一メートル深さ一・五九メートル甲板上のほぼ中央部から後方に長さ八・六九メートル幅三・五一メートル高さ一・九八メートルのケーシングがありその中にポンプ及びモーターを備え、ケーシングより後方の甲板下に船員室、荷脚槽があり、ケーシングの前端に長さ二・一三メートル幅六・一メートル高さ一・八三メートルの木製船橋、その後方に長さ一・八三メートル幅一・五メートル中央の高さ〇・四三メートルのスカイライトがあり、甲板上前部には浚渫用ラダー、その揚げ下し用の高さ九・三メートル幅三・二メートルのラダーシャーがあり、後部にはスパットとその揚げ下し用の高さ一二・〇四メートル幅三・六六メートルのスパットシャーがあること、又甲板上の開口部はケーシングの両舷側前部に各一個、左舷後部に一個の出入口扉、両舷側に各二個の窓があり前部甲板には両舷に各二個のマンホール、後部甲板には船員室上、荷脚槽上に各一個のマンホールがあり各開口蓋は飾付ボールトによつて水密に閉鎖される装置であるが、ただ船員室上のマンホールのみは被せ蓋式のもので締付ボルトによる閉鎖装置はなかつたこと、愛媛は進推器及び舵を有せず独力で航行できないもので、船舶法施行細則第二条の規定により船舶法上の船舶とは看徹されないが、スバットを交互に揚げ下して僅かずつ前進し或いは方向を変えるなど浚渫に際して場所を移動する程度のことはできること、乾舷は平均〇・四八メートルあり主として平穏な港内における作業を目的とするものであるから船体の構造も比較的堅固ではなく加えるにラダー、シャーなどぼう大な突起物があり従つてその曳航には周到な注意を必要とするものであつたこと、乗組員は船長機関長と称する者の外甲板部員三名機関部員三名で構成されるが、船員法船舶職員法の適用をうける正式の船員ではなく海技免状を有せず船舶運航の技術を知ない点で一般船舶の乗組員とは異ること(ただし本判決では船長機関長などの通称を用いる)、以上のように認められる。

第四、愛媛の沈没原因

(証拠)によれば、愛媛は深さの浅いのに比較して上部構造物が多いので一見頭部過重のようにみえるが長さに比較して幅が広いたらい船であつてその復原力は相当大なるものであり昭和一三年建造以来大平洋日本海瀬戸内海等の各沿岸作業場に転々と曳航され途中時化にあい大波に遭遇したこともあつたがいずれもしのぎ嘗つて転覆又は沈没したことはなかつたこと、その復原力について平水に浮ぶ場合風だけを考えれば、追風約六〇度のときが条件が最も悪く定常風ならば約四八・五m/sec突風ならば約四二・五m/secを起えると転覆の虞れがあること、正横波による動揺を併せ考えると同じく追風六〇度のときが条件が最も悪く波が大きくなると共に転覆の虞れのある突風の風速は著るしく下がり、波高一七三メートルでは風速二八・二m/secの突風によつて転覆すること、愛媛の船内には船首尾に小さい区画が設けられているが殆んど全部がポンプ室に当てられていて縦の仕切が全然なくこのように幅が広くてしかも船底が平らな区画(面積一一九・八平方メートル)に自由水があると復原性に及ぼす影響はすこぶる大きく転覆条件は著しく低下し、その深さは一五トンの水で一二五ミリメートルに過ぎないが、三五度ないし八〇度の角度で風速一七メートル前後の突風をうけると転覆しこれが約一九トンに達すると復原力を完全に失うものであることが認められ、以上認定にかかる愛媛の復原力と前記第二事件の経過において認定した各事実特に本件事故当時の天候状態を比較検討しかつ前掲甲第四七号証山本計雄の供述記載を併せ考えれば、愛媛が前認定のような風浪の為転覆沈没したことは無論いうまでもないが、然し愛媛の復原力からみて単に風浪だけが事故の唯一の原因であつたのではなく同時に浸水による自由水が転覆条件を低下させ事故を招く一因となつたものと推定される。もつとも愛媛の各開口部は、前認定のように船員室上のマンホールを除き締付ボルトによる閉鎖装置つきのもので、前掲甲第五、三〇号証によれば愛媛の曳航に際し原告会社代表取締役宇都宮惣太郎指揮の下に水密に閉鎖されたのであるからこれらの開口部から海水が浸入したとはすぐには想像できないがただ船員室上のマンホールだけは締付ボールトによる閉鎖装置がなく被せ蓋式のもので曳航に際し上から径五・六寸位の丸太をスパットシャーの最下端の桁の下にハンマーで殴り込んで押えただけの不完全なものであつたことが認められ、この事実に前掲甲第四号証乙第一七号証黒川善三郎の供述記載を併せ考えれば、船体の動揺や波浪のため右マンホールの蓋が移動しここから海水が浸入したものと推認される。(中略)他に右認定を左右するに足る証拠はない。ただ前掲乙第九号証中には、愛媛の甲板上及び船内移動重量物の縛付の不備も転覆原因の一を形成したかのような記載があるけれども、前掲甲第二八号証菅沼の供述記載と比較照合すれば、たやすく措信し難く、却つて前掲甲第三〇号証山本計雄の供述記載によれば、愛媛の出航に際しては、前記のように原告会社代表取締役宇都宮惣太郎指揮の下にスパットは取外して一個ずつ両舷の甲板上にワイヤーで縛着しラダーは甲板との角度一六度位下方に傾斜した位置でラダーホイストを係止し、ケーブルはスカイライトの周囲に巻きつけるなど重量物移動阻止の準備を整えたことが認められるから重量物の移動が転覆原因の一を形成したものではないと認めるを相当とする。

第三、被告山本の過失の有無

そこで愛媛の転覆、沈没並びに原告会社従業員大田垣、見上両名死亡という本件事故が第一桐丸船長被告山本の過失に基くものかどうかを検討しなければならない。

一、本件契約の性質

まず本件契約の法律上の性質について考えてみる。海商法上船舶とは社会観念上船舶と認めらるべきもので商行為の目的をもつて航海の用に供するものであれば足り必ずしも船舶法などの特別法にいう船舶と同一意義に解する必要はないものであるから浚渫船愛媛は、推進器を有しなくとも海商法上の船舶とみるを妨げないものというべきであり、一般に、当事者の一方が報酬をえてその船舶により相手方の船舶を一定地点に曳航する契約は、曳船契約と呼ばれるから、本件契約は海商法上いわゆる曳船契約に相当する(曳船契約であることは当事者間に争いがない)。なお第一桐丸の船内積運送の契約は厳密には曳船契約とは別個のものであるけれども前記第一契約の成立において認定した各事実によれば曳船契約の一部をなし或いはこれと一体をなすものとして差支えないと解される。ところで本件契約が曳船契約であるとしても原告等はその本質は商法上の運送契約であると主張し被告等は民法上の請負契約であると抗争する。

思うに曳船契約とは海商法上の概念であるが、わが法は僅かに商法第八四二条第四号をおくのみで他に何等の規定を設けていないから、その概念及び法律関係は既成の法理に照らしかつ事実認定によつて決定する外はないのであるが、実践上曳船契約には運送曳船と請負曳船の別があるとされておりこれは恰も原、被告等双方の主張とも合致する。

両者を区別する主たる標準は、曳船と被曳船との間の法律関係わけても曳船列の運航指揮権、被曳船に対する保管監督権がいずにあるかによつて決定すべきであることは、それぞれの性質上当然であるといわねばならない。

さて以上の観点から本件契約の性質を分析してみるに、曳船列一行の航路寄港地、避難港の選択決定の権限が第一桐丸船長被告山本に存したことは当事者間に争いがなく前記第二、事件の経過において認めた事実によれば、被告山本は以上の権限の外運航全般の指揮権を有していたと認められること、前記第三、愛媛とその乗組員において認定したように、愛媛には推進器、舵がないから自力航行能力がなく乗組員も船舶運航の技術を知らない非船員であり、前掲甲第五、三〇号証山本計雄の供述記載によればその職務は単に愛媛の船体保全浸水防止の範囲を出なかつたもので事実上船積貨物の場合と大差なくその保管監督の権限は被告山本に存したと認められ、以上の各認定によれば本件契約はいわゆる運送曳船に属するもので被告等主張のような請負曳船ではなかつたものと認めるを相当とする。被告等は曳船契約は、運送契約ではないとの前提の下に本件契約は請負契約であると主張する。然し当該契約がどのような種類の契約であるかは、当事者の意思を含む事実判断の問題であり曳船契約はすべて運送契約でないとの法理が存在しない以上商法第八四二条第四号の規定を根拠として同法が曳船契約を運送契約でないとするものということも相当でない。けだし同条は単に先取特権を有する船舶債権を列挙した規定にすぎないからである。従つて被告等のこの点に関する主張は失当である。

二、履行安了の有無

被告等は本件曳船契約は第一桐丸が郡中港界線内に到達することによつて履行が完了したと主張し港域法によれば郡中港の区域は栄町水準点から〇度三五〇メーメルの地点を中心とする半径一、〇〇〇メートルの円内の海面をいうのであり、前掲甲第一三〇号証によれば、第一桐丸及び愛媛は、右郡中港域内に到達していたことが明らかであるから、一応本件契約に定める郡中港内に到達したものといえるかの如くである。然し弁論の全趣旨によれば、本件契約に定めた郡中港内と港域上の港域をいうのではなく通俗に港内と認められるところの防波堤内を指すものと解せられるから右事実だけで本件契約に定めた郡中港内に到達したものと認めるわけにはゆかない。もつとも本件契約には、入港不能の場合は沖合までとする旨の約定があつたことは前認定のとおりであるから果して入港不能であつたかどうかを考えねばならない。被告山本が入港不能と判断して前記地点に投錨碇泊したことは前述した。然し契約上の履行条件に合致するかどうかは専ら客観的事実によるべきであるからこの点の証拠関係を検討するに、前掲甲第四五号証によれば郡中港内の水深は、普通大潮の低潮面下で西防波堤北端より北防波堤西端までの入口に当る附近で、当時三・四メートルないし五・三メートル、中央部附近で大体二・三メートルないし三・八メートルであることが認められるに対し、前掲甲第四九号証によれば、第一桐丸の吃水は、空艙で船首一・三メートル船尾三・二メートル満載で船首三・三メートル船尾三・四メートルであつたことが認められるから右水深と吃水を比較対照すれば当時の第一桐丸が防波堤内に進入することは、絶対不可能ではないにしても可成困難であり船底を海底に接触させる危険があつたというべきで、現に、前掲甲第九、一三号証山本竹一の供述記載によれば昭和二五年二月一一日椿原等の慫慂で第一桐丸を防波堤内に入れようと試み満潮の少し前頃東防波堤の近くまで進入すると海底に接触して動きがとれなくなつた事実が認められるから被告山本が入港不能と判断したことは大体客観的事実に合致していたものということができこの点の契約不履行はなかつたものといわねばならない。然しながら本件曳船契約は、前記のように運送契約である性質上単に曳船列が目的地点に到達したというだけで荷受人すなわち原告会社に対し安全に被曳船の引渡しを終了しないうちは契約の履行を完了したということはできないものと解すべきところ前記第二事件の経過において認定した事実によれば被告山本は前記地点に到着した後防破堤内に早く引込むよう催促にきたチャッカー及び第一愛媛丸に対し第一桐丸は入港不能であるから他の曳船を以つて愛媛を港内に曳入れるようにと答えたことが認められるから右は原告会社に対し受領の催告をしたものと解することができる。しかし原告会社側では第一桐丸が曳込んでくれるものと信じていたし、その後第三東予丸を雇い第一桐丸に協力して愛媛を曳入れようと試みたが被告山本が予め到着日時を連絡しなかつたため準備が遅れ、又到着が日没後であり加えて荒天風雨にさえぎられ連絡もつかないまま遂に防波堤内への曳入ができなかつたのであるから原告会社側には何等責むべき点はなく過失による受領遅滞があつたとまでは認められず、単に催告しただけで荷受人たる原告会社に対し愛媛の引渡しを了したと認めるべき証拠のない本件では被告会社の契約上の義務の履行は事故の発生に至る迄の間において総て終つていたのではなくなお愛媛の保管引渡の義務があつたものといわなければならない。

三、被告山本の過失

被告山本が郡中港に始めて航海するものであること、第一桐丸に海図第一一〇二号伊予灘及近海を備付けていたことは当事者間に争いがなく成立に争いのない甲第一四六号証(同海図)によれば、郡中港附近には、同港内以外に船舶等の避難場所となるべき適当な港、地域がないことが明瞭であるが、愛媛のように安定性はあるといつても巨大な突起物があり自力航行の能力がないためもともと海洋の航海に適当でない運送品を附近に避難場所のない地域に運送するに際しては、海運送人上たるものは、安全に目的物の引渡を完了できるまでの天候について十分な注意を払い物的人的安全を確認しかつこれを確保すべき注意義務を負うものと解すべきところ興居島北浦港に碇泊した際上陸して測候所等へ電話等で連絡すれば容易に天候を予知できること当裁判所に顕著な事実であるが被告山本がこれをしなかつたことは被告等の自認するところであるし、又、前記第二、事件の経過において認定した事実によれば、同被告は北浦港においてただ潮の移り変りのみに気をとられ郡中港防波堤外で引渡を済す意思でありながら到着時刻について深く留意することなく北浦港出港時刻から推定すれば到着時刻は夕方となるから引渡に困難を来す虞れがあることも考えず又当時晴雨計が除々に除下しており同被告もこれを確認しているのであるから天候の悪化が予想できたに拘らず軽卒にも漫然同港を出航したことしかも郡中港到着迄に松前沖で気象特報の発せられている旨の伝達を受けながら直ちに引返して興居島に避難するなり或いは到着後においても曳船の来るのを漫然と待つだけでなしに原告会社側に対し殊に第三東予丸による港内曳入を可能ならしめるような適切な措置をとらなかつたことが認められ、以上の事実によれば、被告山本は前記注意義務に違反する過失があつたものと認めるを相当とする。もつとも原告等は右過失の外請求原因(一二)の(1)(2)(4)(6)各記載のような過失があつた旨主張する。然し主張の如く海図第一六四号を備付けなかつたからといつて直ちに過失ありとする法理はないのであり、又ラジオは船舶安全法によれば法律上第一桐丸に備付の義務のないことは明白であるし、更に同船が郡中港内に入港不能であつたこと、被告山本が愛媛乗組員救助のため努力を尽したことはいずれも先に認定したところである。従つてこれらの点に関する原告等の主張は理由がなく採用できない。なお被告等は被告山本に過失なく原告会社の受領遅滞であつた旨主張するが、その理由のないことは既に説示したとおりであるから右主張は失当である。

そうだとすると本件事故は第一桐丸船長被告山本の過失によつて生じたものであるからこれがため原告等に与えた損害につき不法行為の責任を有することは勿論であると共に、使用者たる被告会社は債務不履行と不法行為の両責任を負担すべきである。

被告会社は、本件事故は全く予期せざる特別事情のものであるから損害賠償の責任はないと主張する。然し主張のように本件事故が被告等の予期しなかつたものであるにしても、前記認定事実によれば、その予期しなかつた点に過失があるのであるから被告等が右各責任を免れられないことは当然である。

よつて原告等の損害額を判断する。

第六  原告会社の損害額

一、第一次請求である被告会社の債務不履行による損害、弁論の全趣旨によれば、被告会社は海上運送業を営む株式会社であることが認められるから原告会社との間の本件曳船契約に基く商法第七六六条第五七七条第五八〇条の運送人の責任を負うものであるところ、前記各認定事実によれば、本件事故は被告会社の使用人である被告山本の過失により運送品の価額の減少を来すべき損傷を負わせ又引渡前にこれが沈没したため前掲甲第八号証中宇都宮惣太郎の供述記載により遅くとも同年二月末日迄には可能であると認められる通常引渡をなすべき時期より著るしく遅れて、成立に争いのない乙第三号証の一、二及び愛媛の完全浮揚が同年五月二五日であることに徴し同日引渡を了したものとして少くとも二ケ月以上遅延したのであるから、本件は、運送人の責に帰すべき事由により運送品が毀損しかつ延着した場合に該当すると解すべきである。従つて右損害賠償額は延着の場合に準じ同法第五八〇条第二項但書を適用して到達地の価格を標準とし引渡あるべかりし日における完全状態の運送品の価格と現に毀損した状態にある引渡日の価額との差額によつて賠償額を決定すべきである。もつとも海中に沈没した状態のままの愛媛は殆んど無価値に等しくこれが引揚げられて始めて引渡日の価格を形成するのであるから右賠償額中に愛媛の引揚費用が包含さるべきは当然である。従つて原告会社の請求原因事実によれば(1)愛媛の引揚費用 (2)愛媛の減損額(3)附属物滅失毀損損害の合計額が法定賠償額となる。

(1)  愛媛引揚費用

イ 証拠によれば、原告会社は沈没した愛媛を引揚げるため日本船舶救助株式会社に引揚作業を依託しその費用として数回に合計一〇七万円を支払つたことが認められ、

ロ 証拠によれば愛媛は沈没後海底の地中に埋没したので引揚の前提として原告会社は関西海事株式会社にプリストマン式浚渫船の使用による愛媛の掘出工事を依託しその費用として合計一〇〇万円を支払つたことが認められ、

ハ 証拠によれば、原告会社は別表第九記載のとおり引揚用資材の購入等に二三万六、八二四円を支払つたことが認められるから、以上合計二三〇万六、八二四円が愛媛の引揚に要した費用であると認める。その外別表第一番号22の消耗品代は内容不明であり同24、34の人夫賃は前掲甲第一三三号証の二に徴し引揚費用との関連がないと認められるからいずれも失当である。

なお被告会社は引揚に用した工具ワイヤーロープウエスマシン油等消耗品については使用後残存するものもあつたことは実験則に照らし容易に知りうるところであるからこれを全部損害として請求するのは不当であると主張する。然し、一般に、損益相殺の主張は、厳密な意味における相殺ではないが、一種の不当利得の主張とみるべきであるからこれにより利益をうける側に主張立証の責任があると解すべきところ、被告会社は右利益の明細、程度又は価額などにつき何ら主張立証しないのみならず証人西山知重の証言によれば、引揚作業のため使用した消耗品中殆んど残存したものはなかつたいうのであるから被告会社の右主張は結局採用できない。

(2)  愛媛の減損額

証拠によれば本件事故による愛媛(附属物を除く)の前記計算による減損額は最少限二五〇万円を下らないものと認められ、他に右認定を覆すような証拠はない。

(3)  附属物滅失毀損の損害

証拠によれば、愛媛の沈没により、別表第三記載の附属物品中番号34のキャプタイヤーケーブルを毀損しその余を滅失(流失)したため原告会社は伝馬船に関する点を除き、主張のように損害を蒙つた事実が認められる。ただし流失した伝馬船は、いずれも中古品であり相当の年月を経たものであることが窺われるので、残存価格を新造費の一割と推定しこの損害額を三万八、〇〇〇円と認め、損害額は合計一〇〇万二、〇八五円と認定するのが相当である。被告会社は別表第三記載物品中ワイヤーロープ、ケーブル等は引揚げられたから右請求は不当であると主張するけれども証拠によれば、主張の如くキャプタイヤーケーブルは愛媛引揚後に引揚げられたが、何分約五ケ月間も海底に沈んでいたため変質し殆んど廃品同然になつたことが認められるから右認定に反するものではなくその他に反証もないので結局採用できない。

以上(1)(2)(3)の合計金五八〇万八、九〇五円が被告会社の債務不履行に基く損害額である。

原告会社は、この外、愛媛の沈没、引揚、修理に関して生じた通信費、同旅費、同雑費、遺族に対する見舞金、死亡乗組員の葬式料、引揚、修理のため休業中の得べかりし利益の喪失損害として合計四九四万一、五一三円の賠償を求めるのであるが、商法は、海商企業の保護育成の目的をもつて定額賠償主義を法定しているのであり、実際損害がこれを上廻る場合でもそれ以上の賠償義務を負担させないこととし、民法の一般原則を排除しているのであるから他に特段の事情例えば特約の存在の如き主張立証のない本件では、右法定賠償額が前認定のとおりである以上、積極損害たると消極損害たるとを問わずいずれも失当として排斥を免れない。

ところで被告会社は運送人として、運送品の毀損、延着の場合においても履行の程度による割合運送費(割合曳船料)を請求できることはいう迄もないが、本件の如く極めて重大な義務違反のある場合においては、前認定の諸般の事実に照らしその額は約定運賃の一割を越えないものと認めるべく、従つて被告会社の取得した報酬は金七、〇〇〇円と認めるを相当とする。

そうすると原告会社としては前記約定運賃中六万三、〇〇〇円の支払を免れたのであるから商法第五八〇条第三項に則り右金額は前記損害額より控除すべく、又、本件事故に際し愛媛の船員室上のマンホールの防水装置には前認定のように構造上不完全たる欠陥があり特に、原告会社代表取締役宇都宮惣太郎指揮の下に被曳航準備の行われた点に鑑み、右マンホールから海水の浸入した事実は、原告会社の過失に基くものというべきであるから被告会社の過失相殺の抗弁はこの点で理由があり、諸般の情況からその額を七四万五、九〇九円と認めてこれをも控除し、結局被告会社の賠償すべき額は金五〇〇万円と認めるのを相当とする。

二、被告山本の不法行為による損害

被告山本の不法行為により原告会社の蒙つた損害額を原告の請求原因事実により考察すれば、次のようになる。

(1)愛媛引揚費用

前記一の(1)において認定したように合計二三〇万六、八二四円を要したことが認められる。

(2)愛媛修理費用

前記一の(2)において認定した愛媛の価格減損額に対応すべきものであるから最少限二五〇万円を下らない修理費用を要したものと認める。もつとも証拠によれば実際の修理費用は右認定額を可成超過したようにも受取れるけれども原告会社主張事実中特に問題とすべき株式会社山下鉄工所においてなしたいわゆる本修理の費用は、右証拠によれば本修理自体が事故発生より少くとも三年以上経過した後に施行されたものであることが窺われるからその間愛媛を継続使用していたものとすれば、本件事故との間の因果関係は可成デリケートなものとなるから厳密な認定は困難とならざるをえないのである。特に愛媛は建造後十余年を経過しており事件当時でも相当老朽化していたものと推定されるから或いは本件事故の発生をみなくとも山下鉄工所におけるいわゆる本修理を或程度必要とする段階に達していなかつたともいい切れない。証人西山知重の証言によれば右本修理中には本件事故と全く関係のない部分も相当含まれていたことが認められるがこの事実は右の疑問を裏付けるものであるともいえる。してみれば、不法行為制度における損害負担の公平の理念からいつても愛媛の修理費用は即前認定にかかる減損額を補填する範囲内に止めるを相当と考える。

(3)附属物滅失毀損の損害

前記一・(3)において認定したように合計一〇〇万二、〇八五円の損害があつたものと認める。

(4)通信費

証拠によれば、原告会社は、愛媛の沈没、引揚、修理に関連し事故現場と原告会社本店間などの各種連絡のため別表第四記載のように(ただし番号30、66、122を除き同41の金額を一、八三〇円と訂正)電報、電話、書留、速達等による通信料として総額一一万六、三二二円を支出したことが窺われるが、本件は、事故現場が同時に原告会社の作業場であつた関係上右金額中には本件事故と相当因果関係のない部分も含まれていたであろうことは想像に難くない。それ故損害額は、右支出額の少くとも半額を下らないものと推定し金五万八、一六一円と認めるを相当とする。

(5)旅費

証拠によれば原告会社代表取締役宇都宮惣太郎外役員従業員等は、別表第一〇記載のように愛媛の沈没、引揚修理に関連し事故現場その他関係先に出張したため交通費宿泊費として総額二一万五、五九四円を支出したことが窺われるが前記の場合と同様の理由で損害額は少くともその半額を下らないものと推定し金一〇万七、七九七円と認める。なお原告会社主張の別表第五記載中食費祝儀などは特別の事情のない限り相当因果関係のないものであることは事件の性質上当然であると共にその他右認定以外の分は、他の費用に属するか又は本件事故と関係のないことが前掲証拠上明らかであるから排斥を免れない。

(6)雑費

証拠によれば、原告会社は、愛媛の沈没引揚修理に関連し各種雑用のため別表第一一記載のように総額四万〇、九九〇円を支出したことが窺われるが前記(4)(5)の場合と同様の理由により損害額は、少くともその半額を下らないものと推定し金二万〇、四九五円と認める。なお原告会社主張の別表第六記載中食費、宴会費、接待費、祝儀、事務用品費などは相当因果関係がなくその他右認定以外の分は本件事故と関係のないものと認め採用しない。

(7)遺族見舞金

証拠によれば原告会社は別表第七記載のとおり愛媛の沈没により死亡した従業員大田垣、見上両名の妻子等遺家族に対する見舞金として合計五万八、〇〇〇円を支払つたこと、右金員は、遺家族に対する当面の生活援助の趣旨のものであることが認められ、この事実に弁論の全趣旨を併せ考えれば、右見舞金は、法律上強制されたものとか或いは、遺家族の有すべき損害賠償債権の立替支払といつた性質のものではなく社会慣行上是認された一種の贈与とみるを相当とする。然したとい、贈与であつても使用者が、第三者の過失により死亡した被用者の家族に対し右の趣旨で見舞金を贈与することが、いわゆる香奠などと同じく社会慣行上是認されたものでありかつ相当の範囲内である限り右第三者の有責行為により生じた損害と認めるべきであるから本件見舞金も諸般の事情に照らし決して過大ではなく相当と認められる限りにおいて全部原告会社の損害と認定する。

そうすると被告山本の不法行為による原告会社の損害額は以上(1)ないし(7)の合計六〇五万三、三六二円となる。

なお原告会社は以上の外(1)社会儀礼上の義務として別表第八記載のとおり葬式料合計四万円を大田垣、見上両遺家族に支払つた旨主張し証拠によれば主張のような金額を支払つたことは認めうるけれども、原則として遺家族の有すべき右損害賠償債権の譲渡をうけたとか、或いは立替支払つたなど特段の事情のない限り、労働基準法等法律上葬祭料の支払義務のあるものの外又はそれ以上に社会儀礼上主張のような葬式料支払の義務が使用者にあるものとは解し難く、右証人の証言によつても首肯するに足る事由が見出し難いから相当因果関係のないものとして排斥することとする。

次ぎに原告会社は(2)愛媛の休業中得べかりし利益の喪失損害として、三七八万五、〇九三円の賠償を求めるというのであるが、証人堀尾敏郎の証言によれば、原告会社は他から注文をうけ浚渫船を使用して河川港湾等の浚渫業を営む中小企業であることが窺われるが、このようないわば典型的受注産業は世間通常の鉱工業などと異なり常に継続して事業を営むように保障されたものではなく注文の多寡により又景気の変動により業績の波が大きく安定性の乏しい業種であることは普通に認められるとこである。従つて浚渫船の休止による休業期間中得べかりし利益の喪失損害は不法行為により通常生ずべき損害ではなく特別事情による損害であることはいうまでもないが、原告会社の請求原因として主張するところによれば、右損害は、現に原告会社が下請負していた郡中港浚渫工事の遅延又はこれに附随して当然生ずべき損害或いは右遅延により他の工事に及ぼした損害というような具体的に当事者の予見し又は予見しうべかりし損害ではなくただ単に過去の短期間の業績を基として将来も得るかもしれない利益の喪失という極めて漫然たるものであることが明らかであるが、かかる損害は、当時いわゆるドツヂラインと称する緊縮財政によりデフレ的傾向が顕著であり同年六月二五日朝鮮動乱の勃発をみたが未だその影響をうけていないという時代的国民経済的背景の下における中小企業としての原告会社の営業の前記性格からみて当事者の予見し得ないものであり、又、一方不法行為制度における損害負担の公平という見地からといつても、現実性の薄いもので、被害者に不法行為により却つて利得を得せしめる虞が多分にあり、いずれの点からしても失当であるから排斥を免れない。

なお、本件事故に際し、原告会社の側においてもいささか過失のあつたことは、前認定のとおりであるから、被告山本の過失相殺の抗弁は理由があり、諸般の情況からその額を前同様七四万五、九〇九円と認めてこれを控除し、結局被告山本の賠償すべき額は、五三〇万七、四五三円と認めるを相当とする。

第七、原告ヨシノ、同文江、同節子、同孝枝、同龍枝、同弘美、同昭弘、同大二三、同佐代子、同圭子、同立美、同司郎の各慰藉料の請求について

右原告等がいずれも主張のように本件事故により死亡した大田垣、見上両名の妻子であることは成立に争いのない甲第一、二号証第二二四、二二五号証により明らかであり、又大田垣、見上両名が主張のような経歴、収入、余命を有していた点については被告等において明らかに争わないからこれを自白したものと看做すべきところ、弁論の全趣旨とこれにより成立を認めうる甲第六五号証によれば、右原告等は、被告山本の過失によりいずれも一家の支柱と頼む夫又は父を失い甚大な精神的打撃をうけたことが認められるから以上の事実によれば、被告山本は不法行為に基き被告会社はその使用者として各自相当の慰藉料を支払うべき義務があると認められ、その額は、諸般の情況に照らし原告一名につき金一〇万円を相当と認める。被告会社は、被告山本の選任監督につき相当の注意をなし又これをなすも損害が生ずべかりしときに該当するから不法行為の責任はないと主張するが、被告山本が不注意のため本件事故を惹起した事実よりすれば、被告会社が監督上相当な注意を怠つていたせいであるし、更に本件事故は相当な注意をなせば十分避け得た事案であること既に述べたとおりであるから右抗弁は失当である。更に被告等は過失相殺の抗弁を主張するけれども前記の如く本件事故発生原因の一端となつた海水の浸入は、愛媛そのものの構造上の欠陥及び原告代表取締役宇都宮惣太郎指揮の下に行われた被曳航準備の不完全のためで要するに原告会社自体の過失としてその責任はすべて原告会社にあり、前掲甲第五、三〇号証山本計雄の供述記載により認められる愛媛船長大田垣等乗組員が遭難に際し浸水の有無を気付かい見廻りを励行していた事実に徴すれば乗組員等にはこの点の過失はなかつたものと認められ、前掲甲第九五号証中右認定に反する部分は措信し難く他にこれを覆えすに足る証拠はないから被告等の右抗弁は、右原告等に関しては失当として採用しない。

第八  以上の次第であるから原告会社の本訴請求は、被告会社に対し金五〇〇万円被告山本に対し金五三〇万円七、四五三円及び右各金額に対する訴状送達の翌日であること記録上明白な昭和二五年九月二二日以降完済まで被告会社については商事法定利率の範囲内で被告山本については民事法定利率により年五分の割合による遅延損害金の各自支払を求める限度でこれを認容しその余は失当として棄却し、爾余の原告等の被告等に対し各金一〇万円及びこれに対する前記昭和二五年九月二二日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の各自支払を求める各請求は、全部正当として認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条第九二条第九三条仮執行の宣言については同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

松山地方裁判所民事第一部

裁判長裁判官 伊東甲子一

裁判官 仲 江 利 政

裁判官 堀 口 武 彦

(別表第一ないし第一一省略)

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